自分の人生なんてないのかもしれない

人は1人で生きてない。
わかってる。

俺は1人じゃない。
寂しさは常にあるし、俺は周りと違うし、
逸脱してる、不適合者っていう自覚がある。

でもそれでいいやと思ってきた。
けど、

わかってなかった。

自分の人生を生きたとしてもそこには、
他の人の人生が混じってる。

切っても切れない。
想い出も、意思も、愛情も、おせっかいも、
誰かの信念、願い。

全部が混じって俺の人生。
俺の目から見たそれは俺の人生だけど、

誰かきらみたそれは、社会のだれかの人生。

わかってはいる。
けど、なんか俺は
ちゃんと分かれない。

いつも振り返る。
自分の昔。
いじめてた、喧嘩した、
いじめられた、怒られた。

その都度成長した気がするけど、
誰かにとっては当たり前で、
誰かにとっては尊敬で。

色んな人と体当たりで接してきた。
それはこれからも変わらない、

俺はやりたいように生きたい。
誰かに迷惑をかけるなら、謝る。

許されないことなら、償う。

償えないこともあるかもしれない。
でも諦めたくなかったら、諦めがつくまでやってみたい。

償えることなんて、失うことの後にはそうそうない。

失ったものが大きい時に、
気づくし、学ぶ、

その成長は嬉しいものとは限らないけど。

俺はだれかの価値になれているのか。

ラッドの、自分がいなくなったあと、
少しだけでも変わっていて欲しい。
という思いは強くある。

世界の歯車だったとしたら、
それは何か変わるきっかけになり得る、
パーツだったってことになるのかもしれないけどそうじゃない。

歯車なんかじゃ嫌だ。
俺は多分そこから抜け出したい。

抜け出したら寂しいし孤独ばっかだと思う。
けど、抜け出したいんだと思う。

戦国時代は俺にとっては羨ましい。
戦に出ると覚悟を決めれば、
死のうと思えば簡単な死ねる。

誰かに尽くして、誰かと過ごして、
自分が満足だ。そう思えた時にいつでも死ねる。それも、戦死者という名誉付きで。
人を殺せば、褒美が貰えた。
きっと、ストレスの発散は容易だったんじゃないか。
破壊衝動は誰しもが、特に男が持っていると思う。それは現代では薄れるし、消えていくし抑えるべきもの。

けど俺は、社会を壊してみたい。
挑戦者は昔から好き。

俺はいつ死のうか。
自分の死期は自分で決めたい。

俺の人生、
選べることなんかそう多くないけど、
その少ない中で、選んだ結果。

少しだけ違ってて欲しい。
世界が違ってて欲しい。

俺は俺。
これが俺。
必要とされる場所があって欲しい。
それだけで俺は幸せになれる。

ありがとう。

ジュニアブログ 我が人生とは人の行動への刺激。

誰れかの考えというのは、誰かの考えが含まれて成り立っていると思います。 そこに少しでも私の考えが含まれると、行動に変化が生まれると思います。 その行動が、未来を変える。 社会を変えると思います。 私は社会を、人々が可能性を信じ、未来を作っている自信を持ち、明日を生きる力を強く持て、私はここが良いんだと言える社会を作りたい。 日記としても使われます。

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