シェアの理想
今はシェアは
サービスの言葉として利用されていると思う
シェアと聞いて、
ビジネスとイメージするか
それとも、信頼と取るか。
今、人は、
自分のお金を稼ぎ、
自分のものを買い
人に物を貸すという考え
けど、
こういう考えもある。
私のものはみんなのもの
みんなのものは私のもの。
これは今嫌われるジャイアンみたいな考えなのかもしれないけど、
シェアっていうのはそういう考え方。
そして、
シェアをするのには、相手が信頼できないといけないのも明白。
逆にいうと
今の社会はだれも信頼できていない社会
ということ。
それが海外の人間ならまだわかる。
けど、日本人同士ですら、地域の人ですら、
たまには友人ですら
それができない人がいる。
あなたは、友達にどこまでなら貸せますか?
借りる貸す
っていうのは、銀行がやっていることで
信頼が大切だということは、みんな知っていること。
そして貨幣経済の本質も
貨幣がほぼ信用貨幣であることから
信頼の上に成り立つ社会を作ることが目的だったこともわかる。
シェアを
嫌な響きにしているのは
生きている社会が信頼をできない社会だから
あなたが人を信頼できていないから
お金は今じゃ搾取の道具でしかないから
貨幣経済と資本主義は一緒じゃないからね。
悪いのは資本主義と言い切りはしないけど
資本主義の仕組みと、それを形作る人達の悪意によって、
お金が信頼の証ではなくなってしまっている。
もう個人主義の時代じゃない。
てことでさ
なんか服貸しあったり
靴とか?そーいうのやんないー?
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