人を否定する癖

これは、俺の直さなきゃなと思いつつ
なかなか直しきれないところ。

けど、たぶん、
みんなこれで悩んだことがあるんじゃないかな。

だめ、違う、そうじゃない、無理だよ
なんでわからないかな、良し悪しの判断

ブサイク、デブ、きもい、うざい、

これら全ては、あくまで個人の価値基準。

そしてだからこそ厄介。

仕事場では、だめ、違う、そうじゃないが飛び交う。
仕事なんだから、正しいやり方というのがある程度あって、それに従わなきゃいけないのはわかる。

たとえ自分に合わなくても。

授業でもそうかな。
先生が作ったやり方というものがあって、
それが先生にとっては最善だと思いやっているはず。

けど、
その片方が作った基準を押し付ける行為
(そのルールに乗っ取らせる行為のこと。)
をやるのであれば、

俺は相手の意見を確実に聞くようにしたい。

嫌じゃないか?
何がダメかわかるか、何が違うのかわかるか

自分の基準を押し付けて、何かをした時に
相手に配慮。相手の気持ちを聞くことは、

相互理解ということになるだろう。

押し付けから、協力になるとおもう。

そして、暴言についても
同じことがいえる。

仲のいいやつに言われる暴言と
そうじゃないやつのそれは、全く違う。

相手がどういう人なのかを理解している場合
彼の口からでるその暴言が何なのかわかるから。

本物の暴言か
愛のある暴言か。

友人とは、理解しあったものである。

とするなら、
暴言もまた、理解し合うための言葉のやりとりとなる。

人間関係において
人を否定する言葉が飛び交うことは多々ある。

必要であるのかもしれないが、
使い方で変わるだろう。

その使い方とは、
否定すると同時に尊重し、理解すること。
相手を分かった上でのダメ出しでなければ、

それは
ただの殺傷道具に変わらないと思う。

否定とはそういうことだ。

ジュニアブログ 我が人生とは人の行動への刺激。

誰れかの考えというのは、誰かの考えが含まれて成り立っていると思います。 そこに少しでも私の考えが含まれると、行動に変化が生まれると思います。 その行動が、未来を変える。 社会を変えると思います。 私は社会を、人々が可能性を信じ、未来を作っている自信を持ち、明日を生きる力を強く持て、私はここが良いんだと言える社会を作りたい。 日記としても使われます。

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