回想録 義務教育

友人に記事読んでるよと言われるのはとても嬉しいこと。
そして、その人たちは、これを読んで意見をくれる。
さらには、こうした方がいいんじゃないか?
これってどういう意味なの?と、話してくれる。

そして、たしかにと思ったのが、
まずこれ。
昔書いた記事を放置してしまっていること。
自分は、あんまり振り返るとか、
反省する癖が無かったけど、最近それは
自分で良くないなと思う部分でもある。
だから今回のこの振り返るという提案がしっくり来た。

ので、やっていこうと思う。

義務教育という内容で
前回書いたが、書いてあることは結局のところ、日本のロボット的な教育への反対と
義務であることに対する、自由の欠如への不満がつらつらとあった。

なので、再度、今の見解を提示していきたい
そして、少しでも文章力や説得力、説明力などが上がっていると感じてくれたら、いい。

今は
義務教育に反対はしない。
義務教育のおかげで、学校に行けている人も居ると思う。そして、事実、義務教育だとしても、不登校でも卒業はできる。
つまり、義務教育であることで、機会は平等にあって、その先で選択ができるようになってる。

そして、中学まで義務であるからこそ、
最低限の日本人の質は保たれているとも思うようになった。

ただ、言ったように
自由な選択は、必須だと思う。
それは学校に行く行かないもそうだし
カリキュラムを組めることもそうだし、

学校で何を学ぶべきかと考えると
何だろう?って一旦なると思う。

自分としては、
それは、人間関係、勉強、部活、などを通して得られる、成功失敗体験。
と、色々なことを考えられる基盤だと思う。

逆にいうと、
頑張れるなら、正直どんなことを学校で勉強してもいいと思う。
ただ、それだとコストがかかるだけ。
一人一人の生徒にあった授業とか勉強をさせてあげないといけないから。

ロボットって前の記事で言ったのは
そのみんなと同じことを学ぶから。
みんなと同じを求められてら既製品を毎年作る仕組みにうんざりしたからだと思う。

だから、

これからの学校のあるべき姿は

自由な勉強ができる場所となること。
と、そのプラットフォームになること。

この違いは、
学校の中で、自由に時間を使えるようにすることと、学校を外部の社会と関われる場所にすること。

簡単な例を出すと、
まずは学校内で、基礎科目の達成目標を学校で作って、それを達成しなきゃ卒業できない仕組みにして、同じ授業で一度に教えるとかはもうやめること。
つまり、時間主義じゃなくて成果主義にする

そうして
自分で時間を管理することを覚える。
そして、自由な時間を作る練習をする。
その中で、自由な時間をどう使うのかを考える習慣づけをする。

あとは、純粋に教師たちがその成果に対して
やりがいを持てるようにしてあげるだけ。

だから学校で身につけるのは言ったように

成功をものにするための時間の管理能力と自由の使い方、考えるための基礎知識、そして、社会生活の基礎能力。
これが学校で学ぶもの。

そして、大人はせっかくの好奇心のある年代なのだから、それを生かした、やりがいのあることを何でもやれる環境作りをして、
より多くの成功体験をできるようにしてあげるべきだと思う。

こんな感じかな。
だいぶ長くなったけど、
つまりは、義務教育は賛成。
内容は反対。内容は、千差万別であるべき。
そもそも学ぶとはそういうものだと思うから。

決して、学校はロボット製造場ではない。







ジュニアブログ 我が人生とは人の行動への刺激。

誰れかの考えというのは、誰かの考えが含まれて成り立っていると思います。 そこに少しでも私の考えが含まれると、行動に変化が生まれると思います。 その行動が、未来を変える。 社会を変えると思います。 私は社会を、人々が可能性を信じ、未来を作っている自信を持ち、明日を生きる力を強く持て、私はここが良いんだと言える社会を作りたい。 日記としても使われます。

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