満足と成長どっちが楽しい?
人が社会をいきていくうえで、
成長がないことは悪とされる。
では人間は満足をしてはいけないのだろうか
誰もが経験をしたことがあるだろう。
満足をした時の終わる、あの感覚。
恐らく人は満足と成長のどちらも得ることはできない。
これは、自己肯定感について考えていた時のこと。
一度俺は夢を見た。
そのどちらも手に入れられるのではないかと
けど、満足したら止まった。
飽くなき探究心とはよく言ったものだと思う。
人間は前しか見れない生物である。
最後が死だとしても、絶対に明日を生きる。
誰かは休んでいても誰かは先を求め続ける。
誰もが止まる日は来ない。
全知全能を夢見たことはないだろうか。
ではその体現者を神と呼ぼう。
神は暇か?楽しいか?
この論争はよくあること。
つまり、全てを身につけて限界に来た時に、
満足をして、成長をとめるか。
全知全能を駆使して、新たなる知、あるいは新たなる能を生み出すか。
あなたはどちらを選ぶ?
そしてどちらが楽しいのだろうか。
人間は、神に姿形こそ似れど、
全知全能ではない。恐らくAIもそうだろう。
しかし、それを求める。
いや、求めなければ、止まることを知っている。
止まったら終わることを知っている。
それが人の本能だと思う。
人は、死以外で終わることを恐怖する。
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