全知全能の神は暇か、楽しいか。

この論争が好きなので話してみようと思う。

まず。前提として、神は全知全能を意味する

じゃあさっそく。
例えば、人にとっての明日とは未知である。
しかし、神にとっての明日は既知である。

全て知っている通りに物事が進む。

では子供ができた。
彼の人生を人は想像する。
神は知っている。

全能なら、その未来をも捻じ曲げることは可能であるが同時に捻じ曲げた先も知っている。故に、やはり全て知っている通りに動く。

その時の神の決断というものは、
必要なのだろうか。
変える判断をしても、変わらない。
変える楽しみもない。

先を知っていることは
楽しいのだろうか。

よく、アニメだと、
神は破壊神になる。人の絶望が楽しいと感じて。けど、どんな顔をするかもどんな悲鳴をあげるかも知っているのに、楽しいのだろうか。

神は知っていて尚、
何かを生み出そうとするのだろうか。

無数に存在する、有が
全て無に感じるのではないだろか。

神は
自分で疑問に思うのだろうか
おれ、なんで生きてるんだっけ?って

でもきっと答えも知ってるんだろうな。

全て知っていたら、
何を選択するんだろう。

ジュニアブログ 我が人生とは人の行動への刺激。

誰れかの考えというのは、誰かの考えが含まれて成り立っていると思います。 そこに少しでも私の考えが含まれると、行動に変化が生まれると思います。 その行動が、未来を変える。 社会を変えると思います。 私は社会を、人々が可能性を信じ、未来を作っている自信を持ち、明日を生きる力を強く持て、私はここが良いんだと言える社会を作りたい。 日記としても使われます。

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